民事信託の登記の諸問題(17)

登記研究[1]の記事、渋谷陽一郎「民事信託の登記の諸問題(17)」からです。

権利の帰属を示すという意味は、権利者が誰であるかを示すことである。所有権の信託であれば、所有権者が誰なのか、ということである。そして、これは、民法177条に基づく対抗要件としての権利の登記である。

 私なら、所有権者が誰なのか、の部分は、信託行為による制限を受けた所有権者は誰なのか、とすると思います。

この点、信託の内容の登記は、実体法の領域に一番近いような印象がある(例えば司法書士の民事信託支援業務の法的根拠としての信託目録という側面ではそうである)。しかし、実体法上の法的根拠に乏しいとすれば、信託の内容の登記は、むしろ、それは極めて手続法的な領域にある、という逆説が存在することになる。

 読み取りが難しかったです。信託の内容の登記、という用語を私が理解していないからかもしれません。信託の内容の登記の大部分は、信託目録の記録内容を、構成や文言を実体法に即して考える必要があるから、実体法の領域に一番近いような印象がある、というような意味なのかなと感じます。

信託は泣いているとして知られる裁判例(注256溜箭将之「信託が潜在能力を発揮するには」信託法研究45号6~7頁)であるが、本誌読者のなかにも、違和感を感じる人がいるかもしれない。かような違和感は、信託は契約という方法で設定されるが、その実質として信託は契約なのか否か、という視点に関わる問題でもある。

 信託法3条1項1号による信託行為は、契約です。実質がない条文だとすると、利用しない方がよい、廃止する方がよい、となるので、現在のところ、実質がある契約だと考えられます。契約は両当事者が対等とみるのが原則で(民法521条)、当事者の属性、契約締結時前後の状況、その他の事情によって、個別具体的に判断されるものだと思います。

 裁判例(東京地裁平成30年10月23日判決)に関しては、父親が信託行為をしたいと考えたとき、受託者に就任する人が二男しかいなかったという可能性もあり、判決文を読む限り、父親である委託者が一方的に不利だったのか、分かりませんでした。

信託の関係は、弱者と強者の関係であり、そこで、弱者に対する後見的役割を果たし、公的介入を行うのがエクイティ裁判所である(かような後見的役割の不在こそエクイティ裁判所の伝統がない日本における課題である)注260、樋口 範雄『入門・信託と信託法』2007、弘文堂P27、P52。

信託法

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=418AC0000000108

(受託者の権限違反行為の取消し)

第二十七条 受託者が信託財産のためにした行為がその権限に属しない場合において、次のいずれにも該当するときは、受益者は、当該行為を取り消すことができる。

一 当該行為の相手方が、当該行為の当時、当該行為が信託財産のためにされたものであることを知っていたこと。

二 当該行為の相手方が、当該行為の当時、当該行為が受託者の権限に属しないことを知っていたこと又は知らなかったことにつき重大な過失があったこと。

2 前項の規定にかかわらず、受託者が信託財産に属する財産(第十四条の信託の登記又は登録をすることができるものに限る。)について権利を設定し又は移転した行為がその権限に属しない場合には、次のいずれにも該当するときに限り、受益者は、当該行為を取り消すことができる。

一 当該行為の当時、当該信託財産に属する財産について第十四条の信託の登記又は登録がされていたこと。

二 当該行為の相手方が、当該行為の当時、当該行為が受託者の権限に属しないことを知っていたこと又は知らなかったことにつき重大な過失があったこと。

3項、4項略


[1] 899号、令和5年1月、テイハン、P93~

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