平成25年4月3日名古屋高等裁判所判決平成20年(行ウ)第114号 贈与税決定処分取消等請求事件

平成20年(行ウ)第114号 贈与税決定処分取消等請求事件
判 決
主 文
1 処分行政庁が原告に対し平成19年1月25日付けでした,平成16年分贈与税の決定処分及び無申告加算税の賦課決定処分(ただし,いずれも平成19年6月11日付け異議決定及び平成20年7 月1日付け裁決により一部取り消された後のもの)を,いずれも取り消す。
2 訴訟費用は,被告の負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求の趣旨主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は,原告の祖父がアメリカ合衆国(以下「米国」という。)ニュージャー ジー州法に準拠して,米国籍のみを有する原告を受益者とする信託を設定したところ, 処分行政庁が,この信託行為につき,相続税法(平成19年法律第6号による改正前 のもの。以下同じ。)4条1項を適用して贈与税の決定処分及び無申告加算税の賦課 決定処分をしたので,原告が,その取消しを求める事案である。
2 関係法令等の定めは,別紙1記載のとおりである。
3 前提事実(以下の事実は,当事者間に争いのない事実及び後掲の証拠から容易に認定できる事実である。)
(1) 当事者等
原告は,日本国籍のA及びBの二男として,2003年(平成15年)○月○日, 米国において生まれた米国籍のみを有し日本国籍を有しない男児である。
A及びBの間には,原告の他に,C(長男),D(三男),E(四男)の3人の子がいる(乙5)。

Fは,Aの父親である。なお,Fには,Aの他に,娘が2人(Aの姉と妹であり, 姉は既に死亡している。)おり,Aの姉の子は,Cよりも年長である(証人F)。
(2) 信託契約の締結等
ア Fは,平成16年(2004年)8月4日,Gとの間で,米国ニュージャージー州法に準拠して,Fを委託者,Gを受託者とする信託契約(以下「本件信託契約」といい,本件信託契約に係る契約書を「本件信託契約書」,本件信託契約によって設定された信託を「本件信託」という。)を締結した。そして,Fは,同月26日,本件信託における信託財産(以下「本件信託財産」という。)として券面額500万米国ドル(以下,単に「ドル」と標記する。)の米国財務省短期証券(以下「本件米国債」という。)をGに引き渡した。
なお,Fは,本件米国債を,スイスにおいて保管していた。
イ 本件信託契約書の条項(ただし,和訳したもの)は,別紙2記載のとおりである(甲4。以下,本件信託契約書の個別の条項を摘示する場合は,例えば,4条1項
〔別紙では『4.1』と表記してある。〕を「本件信託契約4条1項」のように記載する。)。
本件信託契約書の冒頭には,本件信託は,Fの子孫らのために設定された旨の記載があり,本件信託契約4条1項には,本件信託の受益者として原告の氏名が記載されている。また,本件信託契約7条1項には,委託者は,本トラストの目的を満たすための適切な投資戦略は生命保険証券への投資であると信ずる旨記載されている。
ウ Gは,2004年(平成16年)9月15日,H外5社との間で,Aを被保険者とする生命保険契約(以下,この6つの生命保険を総称して「本件生命保険」という。なお,本件生命保険における保険金総額は6083万6103ドルである。)を締結し,保険料として合計440万ドルを支払った(甲52ないし57,69の1ないし6)。
(3) 原告の居住関係等
ア Bは,平成15年11月2日,A及びCと一緒に渡米し,Aが役員を務める株式会社Iの所有する米国カリフォルニア州(以下略)にあるコンドミニアム(以下「本件コンドミニアム」という。)で生活した(乙5,16の2ないし4)。
Bは,同年○月○日,原告を米国において出産した。
イ Aは,平成15年4月19日,株式会社Jとの間で,肩書き地に住宅を建築する請負契約を締結した(乙21。以下,この請負契約による完成後の住宅を「○の自宅」という。)。
A及びBは,同年12月16日付けで,肩書き地を住所とする住民登録をし,その住民登録上の住所は,平成21年5月12日まで変動していない(乙7)。
ウ Bは,原告が誕生した後の平成16年1月30日に,原告とCと共に帰国し, 約1週間実家に滞在した後,○の自宅に移り,同年4月11日まで,そこで生活して いた。そして,Bは,原告とCと共に同日渡米した(乙4,5,16の1,3,4)。
エ Bは,平成16年9月2日,A,C,原告と共に帰国し,○の自宅で生活した。原告は,同年11月19日,居住地を○の自宅とし,Aを世帯主とする外国人登録を し,乳幼児医療費受給者証の交付を受けた。また,原告は,出生の翌日である平成1
5年○月○日,Aの被扶養者として健康保険組合から扶養認定を受けた(乙4,5,
16の1ないし4,乙17,18,19の1,2)。
Bは,平成17年5月9日,原告とCと共に渡米し,本件コンドミニアムで生活し, 同年8月20日に帰国した。Bは,その間,Dを米国において出産した。原告は,平 成17年2月25日,在留資格を「短期滞在」から「日本人の配偶者等」に変更する 旨の許可を受けた(乙4,5,16の1,3,4,5)。
(4) 課税処分の経緯等
ア 原告は,平成16年分の贈与税の申告をしなかった。
イ 処分行政庁は,原告に対し,平成19年1月25日付けで,本件信託により取得した財産の価額の合計額(課税価格)を5億4565万9864円とし,そこから基礎控除額110万円を控除した上,贈与税額を2億7002万9500円とする贈与税の決定処分及びこれに関する無申告加算税の額を4050万3000円とする無

申告加算税賦課決定処分(以下,両者を併せて「原処分」という。)をした。
ウ 原告は,平成19年3月12日,処分行政庁に対し,原処分の取消しを求めて異議申立てをした。処分行政庁は,これに対し,同年6月11日付けで,原決定を一部取り消し,課税価格を5億4563万1777円,これに対する贈与税額を2億7 001万5500円,無申告加算税の額を4050万1500円とする異議決定をした。
エ 原告は,平成19年7月9日,国税不服審判所長に対し,原処分(ただし,上記異議決定により,その一部について取り消された後のもの)の取消しを求めて審査請求をした。国税不服審判所長は,これに対し,平成20年7月1日付けで,原処分を更に一部取り消し,課税価格を5億4513万2799円,これに対する贈与税額を2億6976万6000円,無申告加算税の額を4046万4000円とする裁決をした(上記ウの異議決定及びこの裁決により一部が取り消された後の原処分を「本件課税処分」という。)。
4 税額等に関する被告の主張
被告が本件訴訟において主張する原告の平成16年分の贈与税の課税価格は5億4 513万2799円,納付すべき税額は2億6976万6000円であり,また,無 申告加算税の額は4046万4000円である。その算出根拠は,次のとおりである。
(1) 贈与により取得した財産の価額の合計額(課税価格) 5億4513万279 9円
ア 財産評価基本通達(昭和39年4月25日付け直資56・直審(資)17。平成17年5月17日付け直資5-7による改正前のもの。以下「評価通達」という。)の定め
(ア) 評価通達202《信託受益権の評価》は,信託の利益を受ける権利の評価について,その(1)で,「元本と収益との受益者が同一人である場合においては,この通達の定めるところにより評価した課税時期における信託財産の価額によって評価する。」と定めている。

(イ) 評価通達197-3《割引発行の公社債の評価》は,その(3)で,証券取引所に上場された割引発行の公社債及び日本証券業協会において売買参考統計値が公表される銘柄として選定された割引発行の公社債以外の割引発行の公社債の評価方法について,「その公社債の発行価額に,券面額と発行価額との差額に相当する金額に発行日から償還期限までの日数に対する発行日から課税時期までの日数の割合を乗じて計算した金額を加算した金額によって評価する。」と定めている。
(ウ) 評価通達4-3《邦貨換算》は,「外貨建てによる財産及び国外にある財産の邦貨換算は,原則として,納税義務者の取引金融機関(外貨預金等,取引金融機関が特定されている場合は,その取引金融機関)が公表する課税時期における最終の為替相場(邦貨換算を行う場合の外国為替の売買相場のうち,いわゆる対顧客直物電信買相場又はこれに準ずる相場をいう。また,課税時期に当該相場がない場合には,課税時期前の当該相場のうち,課税時期に最も近い日の当該相場とする。)による。」と定めている。
イ 本件における課税価格の算出
(ア) 本件信託では,元本と収益の受益者が同一人であるから,贈与により取得した財産の価額の合計額は,本件信託財産である券面額500万ドルの本件米国債を課税時期において評価した金額となる。そして,本件における贈与税の課税時期は,委託者であるFが,本件信託契約に基づき,本件米国債を受託者であるGに引き渡した平成16年8月26日である。
(イ) 課税時期である平成16年8月26日における本件米国債に係る券面額100 ドルの評価額は,発行価額99.664ドルに,券面額100ドルと発行価額との差額に本件米国債の発行日(平成16年7月22日)から償還期限(平成16年10月21日)までの日数(92日)に対する発行日から課税時期までの日数(36日)の割合を乗じて計算した金額を加算した99.7954782608ドルとなり,本件米国債(500万ドル)の価額は,その金額に500万ドル/100ドルを乗じて求めた498万9773.91304ドルとなる。

(ウ) 訴外K銀行の平成16年8月26日における対顧客直物電信買相場(1ドル当たり109.25円)により邦貨換算すると,贈与により取得した財産の価額の合計額は,5億4513万2799円となる。
(2) 基礎控除額 110万円
上記金額は,租税特別措置法70条の2に規定する贈与税の基礎控除額である。
(3) 基礎控除後の課税価格 5億4403万2000円
上記金額は,上記(1)の金額から上記(2)の金額を控除した金額から,国税通則法(以下「通則法」という。)118条1項の規定に基づき1000円未満の端数を切り捨てたものである。
(4) 納付すべき税額 2億6976万6000円
上記金額は,上記(3)の金額に,相続税法21条の7を適用して算出した金額である。
(5) 無申告加算税の額 4046万4000円
上記金額は,上記(4)の金額に,通則法118条3項の規定を適用した後の金額に, 通則法66条1項を適用して計算した金額である。
5 争点及び当事者の主張
本件の争点は,本件課税処分の適法性であり,具体的には,(1)本件信託の設定行為が相続税法4条1項にいう「信託行為」に当たるか否か,(2)原告が同条1項にいう「受益者」に当たるか否か,(3)本件信託が生命保険信託に当たるか否か,(4)原告が相続税法1条の4第3号の制限納税義務者に当たるか否か,(5)本件信託財産が我が国に所在するものであるか否かである。
(1) 本件信託の設定行為が相続税法4条1項にいう「信託行為」に当たるか否か
(被告の主張)
相続税法4条1項にいう信託行為は,同法においてこれを定義した規定はないが, 我が国の法体系において信託について規定しているものは信託法(平成18年法律第
108号による改正前のもの。以下同じ。)であるから,相続税法4条1項にいう信

託行為も,信託法における信託行為に該当するものをいう趣旨であると解される。 ところで,信託法1条に従って信託を定義すると,信託とは,委託者が信託行為によって,受託者に財産権(信託財産)を帰属させつつ,同時にその財産を一定の目的(信託目的)に従って,受益者のために管理・処分すべき拘束を加えるところに成立する法律関係となり,信託行為とは,このような信託という法律関係を成立させる法律行為をいうことになる。そして,信託の法的特色としては,①特定された財産を中心とする法律関係であること,②受託者が財産権の名義者となること,③受託者に財産の管理・処分の権限が与えられること,④受託者の管理・処分の権限は排他的であること,⑤受託者の権限は,他人のために一定の目的に従って行使されなければならないこと,⑥法律行為によって設定されること,が挙げられる。
本件信託は,FがGに対して委託する財産(本件米国債)を中心とする法律関係であること(上記①),Fは本件信託財産(本件米国債)の所有権をGに移転させており,本件信託財産を受託者名義の財産としていること(上記②),Gは,その裁量によって本件信託財産を保管し,必要に応じて信託財産を受益者に分配し,あるいは処分することが許容されており,Gには本件信託財産に関する管理・処分権限が与えられており,F及びその他の者にはその権限はないから,Gの管理・処分権限は排他的であること(上記③,④),Gの上記権限は,Fの子孫らの教育,扶助,保健,慰安及び福利を図る目的で行使することが定められており,受益者のために一定の目的に従って行使されることが予定されていること(上記⑤)及び本件信託は契約によること(上記⑥)に照らせば,本件信託の設定行為は,相続税法4条1項にいう「信託行為」に該当する。
(原告の主張)
我が国の信託法1条の規定によれば,受託者の権限は「一定の目的に従って財産の管理又は処分をなす権限」とされており,受託者に受益者を選定する権限を認めておらず,まして,第三者にその裁量により受益者を選定する権限を与えることは想定されていない。

しかるに,本件信託契約4条2項,3項によれば,本件信託契約においては,Aは, 受益者選択権,受託者であるGに対する財産の保有,管理,分配について指示する権 限を有しているから,このような本件信託は,我が国の信託法の規定する信託には該 当しない。
(2) 原告が相続税法4条1項にいう「受益者」に当たるか否か
(被告の主張)
ア 相続税法4条1項は,委託者が他人に信託受益権を与えたときは,信託行為をした時に信託受益権を贈与又は遺贈したものとみなして課税する方法(信託行為時課税)を採用している。そして,Fが本件信託の信託行為をした時は,Fが本件米国債を本件信託財産としてGに引き渡した平成16年8月26日である。したがって,本件課税処分が適法となるためには,この時点において原告が本件信託の利益の全てについて受益者となっていたことが必要である。
イ 本件信託契約4条1項には,原告が生存する限りにおいて,受託者は自己の裁量において,原告の一定の目的のために妥当であると思われる金額を原告に支払い又は原告の利益のために利用する旨の記載があるから,本件米国債の引き渡しがあった平成16年8月26日において,原告が本件信託における受益者であることは明らかであり,その他に本件信託の受益者として指名されている者はいないから,原告が唯一の受益者である。
原告は,本件信託の設定者であるFの意思によれば,本件信託は「子孫等」のために設定されたもので,特定の子孫の利益のために設定されたものではなく,原告は唯一の受益者ではないと主張する。しかし,その主張は,次のとおり失当である。
(ア) 原告は,本件信託契約書に「本トラストは,Fの子孫らの利益ために設定されたものであり」と記載されていることを根拠としてあげるが,これは,契約の当事者や目的を表明する「前文」の部分において本件信託契約の理念を述べた記載で「子孫ら」の範囲や「利益」の中身も具体的ではないなど,本件信託設定時において,原告以外に受益者となるものを具体的に定めるものではないから,この記載は,本件信託

設定時において原告が唯一の受益者であることを否定するものではない。
(イ) Fは,創業した事業や財産に関して,K銀行東京オフィスのLから日本と米国の双方において納税の必要性が生じない信託を勧められた。その概要は,委託者を米国の非居住者であるFとし,受益者を米国籍のみを有する米国居住者である原告とする信託契約を締結した後,無体財産を信託財産として受託者に引き渡し(日本国籍を有しない非居住者に対する国外資産の贈与であれば,日本の相続税法により贈与税は課税されない。),その後,本件信託財産をAを被保険者とする保険証券に投資し(ただし,本件信託においては,その投資先は保険証券に限定されていない。),その後,受益者である原告は,元本部分を無税で受け取るというものであった。これを受けて,Fは本件信託を設定したのであるから,Fは,本件信託設定当時,この契約の重要な要素である,米国籍を有し,かつ米国の居住者である原告を唯一の受益者とすることを意図していたというべきである。
(ウ) 原告は,受託者であるGに本件信託による利益分配に関する裁量権があることを根拠に,原告が信託利益の全部の受益者には該当しないと主張する。
確かに本件信託契約4条1項によると,信託財産の分配は受託者の裁量的判断に委ねられているが,これは,Gが本件信託財産の分配の時期,分配額について裁量があることを明らかにしたものにすぎず,しかも,本件信託契約4条1項は「(原告)の利益のために利用する」との文言があり,裁量権は原告のために行使されるのであるから,原告が本件信託の受益者であることを否定するものではない。
(原告の主張)
ア 相続税法4条は,法律的には財産を贈与によって取得したとはいえないが,実質的にみて贈与によって取得したものと同視できる財産権の移転がある場合に,公平負担の見地から,当該財産権を贈与によって取得したものとみなして贈与税を課すこととするみなし贈与税の根拠規定(同法4条ないし9条)の一部をなすものである。相続税法4条は,「信託の利益を受ける権利」を「贈与により取得したものとみなす」としていることから信託受益権を課税物件としていることが明らかであり,みなし贈与課税の他の根拠規定である同法5条ないし9条との整合性なども考えれば,同法4条は,信託受益権を信託行為等によって取得した者がいる場合に,その取得原因を贈与とみなす機能を果たしているにすぎない。
そして,みなし贈与課税は,実質的に見て贈与を受けたのと同様の経済的利益を享受している事実がある場合に,税負担の公平の見地から,享受することになった経済的利益に担税力を認めて課税すべきであり,また,そもそも贈与税は贈与による財産の移転が当事者間において確定的に生じたものと客観的に認められるときに初めて課税されるべきものである。
また,相続税法4条2項4号が,ある者が停止条件の成就によって信託受益権を取得することにより「受益者となった」とされていることなどに鑑みると,同条1項の「受益者であるときは」とは,「受益者として信託受益権を取得したときは」ということを意味する。
以上によれば,相続税法4条は,ある者に信託受益権が確定的に帰属したと認められる状態になったときに,その者の信託受益権の取得原因が贈与であるとみなすことにより,信託受益権を課税物件としてその取得者に贈与税を課すための根拠規定であり,仮に信託契約において「受益者」あるいはそれに類似する呼称を与えられて信託の利益を受ける可能性があると記載された者がいたとしても,その者に信託行為によって信託受益権が確定的に帰属させられていないのであれば,そのような信託行為について相続税法4条1項を適用することは違法である。
イ 本件信託の準拠法であるニュージャージー州法は,信託契約書の解釈において設定者の意思を最大限に考慮することとしている。そして,信託契約書は信託設定者の現実的かつ相当な意思を考慮するという「設定者の真意」を基準に解釈すべきであり,その真意を確認するに当たっては,周辺事実及び状況も鑑みた上で,信託契約書全体から読み取れる設定者の主要目的に主眼を置いて行うべきである。
本件においては,設定者であるFは,証人尋問において,原告が本件信託の利益の全てを享受するものでない旨述べている上,本件信託契約書の冒頭に「Fの子孫らの

利益のために設定されたもの」と明記されていること,本件信託の受託者が契約者となっている本件生命保険の申込書においても「Trust beneficiaries are children of the insured」と記載されていることに照らしても,原告のみが本件信託の受益者でないことは明らかである。
なお,本件信託契約においては,受託者は,信託財産の分配について,教育,生活費,健康,慰安及び安寧のために妥当であると思われる金額という制限が付されているものの裁量権を有しており,この裁量に基づき,本件信託財産以外の一切の財産及び資産を考慮した上で,信託財産の分配を行うことができるのであり,このことは,ニュージャージー州法の後見制度に照らしても是認されており,受益者が,その裁量判断を不服として訴えを提起しても,裁判所は受託者の裁量を尊重することになる。したがって,原告は,本件信託設定時に,信託の全部の利益を享受できる立場にはなく,本件信託から利益を受けることを期待できる立場にあったにすぎないというべきであるから,相続税法4条1項にいう「受益者」に当たらない。
(3) 本件信託が生命保険信託に当たるか否か
(被告の主張)
原告は,本件信託は,委託者が金銭又は有価証券を信託し,受託者をして,受託者の名において委託者又は第三者を被保険者として生命保険契約を締結せしめ,満期又は保険事故発生の場合に受託者が保険金請求権を行使して得た保険金を受益者のために一定の目的に従って運用することを内容とするものであり,生命保険信託に当たると主張する。
しかし,生命保険信託というためには,信託契約において受託者に信託財産の運用方法について裁量がなく,生命保険契約の締結が義務付けられている場合か,少なくとも受託者において投資すべき生命保険の内容がある程度具体的に定まっている場合に限られる。本件信託においては,受託者であるGは生命保険契約への投資を義務付けられておらず,本件信託契約6条8項にあるように,Gは自らの判断で本件信託財産の運用ができる。したがって,このような本件信託契約の定めは,上記生命保険信託の要件を充足しないことは明らかである。
また,本件信託設定後における信託財産の運用状況を見ても,Fは,本件信託設定時,K銀行・スイス支店の同人名義の口座から,券面額500万ドルの本件米国債を本件信託財産としてGに引き渡し,その後,本件米国債が売却され,約440万ドルは生命保険契約に充てられたが,残りの約60万ドルは再度米国債の購入に充てられている。したがって,受託者であるGは,本件信託財産について,生命保険契約を締結することを義務付けられていない。
よって,本件信託は,生命保険信託ではなく,受託者であるGが,本件信託契約締結時に本件信託財産の一部を生命保険により運用する信託にすぎないというべきである。
(原告の主張)
本件信託は,仮に我が国の信託法の規定する信託に当たるとしても,次のとおり, 生命保険信託に当たり,相続税法4条1項は適用されず,同法5条1項が適用されるべきである。
本件信託の設定者であるFは,その設定の1年以上前から,K銀行,G及び生命保険を利用した資産管理を提案する会社と,Fの長男であるAを被保険者とする海外生命保険信託の設計を行い,かつ当該設計どおりに本件信託の設定及び本件生命保険の購入が行われた。
そして,本件信託契約7条,8条の規定を見ると,本件信託の目的達成のため本件信託契約において明示されている投資対象は,海外生命保険以外になく,かつ受託者であるGは投資顧問(本件生命保険の被保険者)であるAの指図に完全に従うほかないことが分かる。また,本件信託の設定者であるFは,本件生命保険証券を購入してこれを受託者であるGに信託し,その保険金を受益者のために一定の目的に従って運用すること以外を想定しておらず,そのことは,本件信託契約書に記載された設定者の意思にも合致する。
したがって,本件信託契約は,2004年(平成16年)8月26日,委託者であるFが,有価証券である米国財務省証券を信託し,同年9月15日,受託者であるG をして,受託者の名前においてAを被保険者として生命保険契約を締結せしめ,満期又は保険事故発生の場合に受託者が保険金請求権を行使して得た保険金を,受益者のために一定の目的に従って運用することを内容とする生命保険信託である。したがって,日本の相続税法上の取り扱いとしては,同法5条が適用されるのであり,4条が適用されることはない。
(4) 原告が相続税法上の制限納税義務者に当たるか否か
(被告の主張)
住所とは,生活の本拠を指すところ,原告は,本件信託設定当時,生後○か月の乳児であって独立して生活できる状況になかったから,原告の生活の本拠は母であるB の生活の本拠と同一と考えられる。そして,以下の事情に照らせば,Bの生活の本拠は日本である。
ア Aは,肩書き地に○の自宅を新築し,平成15年12月16日に入居した。そして,Bは,平成16年1月30日から約1週間後に,○の自宅に居住を開始した。なお,Bの住民票上の住所は,平成15年12月16日から○の自宅となっており, 平成21年5月12日まで,住所の登録は変更されていない。
イ 原告及びBが米国において滞在していたのは,本件コンドミニアムであるところ,本件コンドミニアムは,Aが役員を務める株式会社Iの社員及びその家族が無料で利用できる厚生施設であり,同社の社員であれば誰でも同じ条件で利用でき,利用する際も,家具が備え付けのため,日用品等を日本から送り,帰国する際には引き上げてくることになるものである。そして,Bは,本件コンドミニアムを他の社員が利用していたために,同じ建物の別の部屋を利用したこともあり,Bら家族が本件コンドミニアムをいつでも自由に利用できる状態ではなかった。
ウ したがって,Bは,○の自宅を生活の中心としており,本件コンドミニアムは, 生活の本拠となるべき住居とはいえないから,同人の生活の本拠は,○の自宅である。よって,原告の生活の本拠も,○の自宅であることになるので,原告は,相続税法1

条の4第1号に該当する者である。
(原告の主張)
仮に,本件信託の設定に関し,相続税法4条1項が適用されるとしても,原告は, 次のとおり同法1条の4第3号の制限納税義務者に該当する。
ア 原告の出生後本件信託設定までの間,原告は,米国に○日間滞在し,一方,日本には○日間しか滞在していない。そして,原告の日本での在留資格は,「短期滞在」であり,日本での滞在可能期間は90日であったが,米国での在留期間に制限はなかった。
イ 原告の日本での滞在中の住まいは,一時的な仮住まいであったが,米国では定まった住居があり,生活の実体もあった。
ウ Bに関しても,本件信託設定前後の日米の居住環境の整備状況,生活の実態, 居住意思等に照らして,本件信託設定時において,その生活の本拠は米国にあったといわざるを得ない。
(5) 本件信託財産が我が国に所在するものであるか否か
(被告の主張)
仮に,原告の住所が日本でなく,相続税法1条の4第3号の制限納税義務者に該当する場合には,同法2条の2第2項により,「その者が贈与により取得した財産で, この法律の施行地にあるもの」に対して贈与税が課されることになる。そして,財産の所在地は,同法10条により定められるところ,本件信託の受益権は,同条1項9 号で挙げられている合同運用信託,投資信託又は特定目的信託に係る信託受益権に該当しないことは明らかであり,同条2項にも該当しないので,同条3項により,その財産の所在が判断されることになる。
相続税法10条3項は「当該財産の権利者であつた被相続人又は贈与をした者の住所」が財産の所在としているところ,本件において「財産の権利者であった贈与をした者」はFであり,同人は,昭和57年以降愛知県愛知郡(以下略)に居住している。したがって,仮に原告が制限納税義務者であっても,本件信託の受益権の所

在は,Fの住所がある日本となり,原告は,贈与税の納税義務を負うことになる。
(原告の主張)
本件信託の信託財産は,設定者であるFが,K銀行・スイス支店の同人名義の口座に預金していた米国ドルで購入した券面額500万ドルの本件米国債である。
そもそも,相続税法4条は,旧信託法の制定により,信託を利用することで贈与や遺贈の法形式を取らずにこれらと同一の経済効果を生じさせることが可能となったことから,信託を利用して贈与税課税を逃れる行為を防止するために制定されたものである。このことと,相続税法10条4項の規定に鑑みれば,本件において原告がFから贈与されたとみなされる財産の所在に関しては,本件信託設定時にFから本件信託の受託者であるGに移転された財産である米国財務省証券(本件米国債)の所在によって判定されるべきである。そして,米国財務省証券は,米国が発行する公債であるから,同条2項により,その所在は米国にあるものと解される。
よって,本件信託設定に関して,原告を受益者として相続税法4条1項が適用されるとしても,原告は,本件信託設定当時,制限納税義務者に当たり,しかも,原告が贈与により取得したとみなされる財産の所在は,日本ではなかったから,原告は贈与税の納税義務の前提を欠いていたことになる。
第3 当裁判所の判断
1 本件信託の設定行為が相続税法4条1項にいう「信託行為」に当たるか否かについて
相続税法4条1項の「信託行為」については,同法にはこれを定義する規定は置か れていない。このような場合,納税者の予測可能性や法的安定性を守る見地から,税 法上の用語は,特段の事情のない限り,通常用いられる用法により解釈するのが相当 である。本件においても,信託行為は,信託法により規定されている概念であるので, 相続税法4条1項の「信託行為」は,信託法による信託行為を意味するものと解する のが相当である。
そして,信託法1条によれば,信託とは,委託者が,信託行為によって,受託者に信託財産を帰属させ,同時にその財産を一定の信託目的に従って受益者のために管理処分すべき拘束を加えるところにより成立する法律関係であると解されるところ,本件信託も,証拠(甲4)によれば,委託者であるFが,本件信託の設定行為により, 受託者であるGに本件信託財産である本件米国債を帰属させ,受益者とされる原告のために管理処分すべき拘束を加えたものと認められるので,本件信託の設定行為は, 相続税法4条1項にいう「信託行為」に当たると認められる。
この点,原告は,本件信託契約4条2項,3項により,Aが受益者選択権,受託者であるGに対する財産の保有,管理,分配について指示する権限を有していることを理由に,本件信託は,信託法にいう信託に当たらないと主張する。しかし,本件信託契約4条各項の規定によっても,受託者であるGの信託財産に対する管理処分権限自体が否定されるものではないから,原告の主張は採用できない。
2 原告が相続税法4条1項にいう「受益者」に当たるか否かについて
(1) 相続税法等の定め
ア 通則法15条2項5号によれば,贈与税の納税義務は「贈与(贈与者の死亡により効力を生ずる贈与を除く。)による財産の取得の時」に成立するとされている。そして,相続税法4条1項は,「信託行為があった場合において,委託者以外の者が信託(省略)の利益の全部又は一部についての受益者であるときは,当該信託行為があった時において,当該受益者が,その信託の利益を受ける権利(省略)を当該委託者から贈与(省略)により取得したものとみなす。」と規定している。
ところで,相続税法において,同法4条1項と同じように贈与があったとみなす旨を定めた規定としては,次のものがある。
(ア) 生命保険契約の保険事故(省略)又は損害保険契約の保険事故(省略)が発生した場合において,これらの契約に係る保険料の全部又は一部が保険金受取人以外の者によって負担されたものであるときは,これらの保険事故が発生した時において, 保険金受取人が,その取得した保険金(省略)のうち当該保険金受取人以外の者が負担した保険料の金額のこれらの契約に係る保険料でこれらの保険事故が発生した時までに払い込まれたものの全額に対する割合に相当する部分を当該保険料を負担した者から贈与により取得したものとみなす(同法5条1項)。
(イ) 定期金給付契約(省略)の定期金給付事由が発生した場合において,当該契約に係る掛金又は保険料の全部又は一部が定期金受取人以外の者によって負担されたものであるときは,当該定期金給付事由が発生した時において,定期金受取人がその取得した定期金給付契約に関する権利のうち当該定期金受取人以外の者が負担した掛金又は保険料の金額の当該契約に係る掛金又は保険料で当該定期金給付事由が発生した時までに払い込まれたものの全額に対する割合に相当する部分を当該掛金又は保険料を負担した者から贈与により取得したものとみなす(同法6条1項)。
(ウ) 著しく低い価額の対価で財産の譲渡を受けた場合においては,当該財産の譲渡があった時において,当該財産の譲渡を受けた者が,当該対価と当該譲渡があつた時における当該財産の時価(省略)との差額に相当する金額を当該財産を譲渡した者から贈与(省略)により取得したものとみなす(同法7条1項)。
(エ) 対価を支払わないで,又は著しく低い価額の対価で債務の免除,引受け又は第三者のためにする債務の弁済による利益を受けた場合においては,当該債務の免除, 引受け又は弁済があった時において,当該債務の免除,引受け又は弁済による利益を受けた者が,当該債務の免除,引受け又は弁済に係る債務の金額に相当する金額(対価の支払があつた場合には,その価額を控除した金額)を当該債務の免除,引受け又は弁済をした者から贈与(省略)により取得したものとみなす(同法8条1項)。
(オ)以上の場合を除くほか,対価を支払わないで,又は著しく低い価額の対価で利益を受けた場合においては,当該利益を受けた時において,当該利益を受けた者が, 当該利益を受けた時における当該利益の価額に相当する金額(対価の支払があつた場合には,その価額を控除した金額)を当該利益を受けさせた者から贈与(省略)により取得したものとみなす(同法9条1項)。
イ 以上の各規定を通覧すると,(ア)の場合,保険事故が発生した場合には保険金の支払義務が発生するから,保険金受取人は,保険金の支払請求権を現に有すること

になり,(イ)の場合,定期金給付事由が発生した場合には当該定期金の支払義務が発 生するから,定期金の受取人は,定期金の支払請求権を現に有することになり,(ウ) の場合,著しく低い価格で財産を譲り受けた場合には,譲受けにより,譲り受けた者 は,当該財産の所有権を取得するから,財産の価値を現に把握することになり,(エ) の場合,対価を支払わないで,又は著しく低い価額の対価で債務の免除,引受け又は 第三者のためにする債務の弁済がされた場合には,これらの行為により利益を受けた 者は,自己の債務が減少することなどにより,現に利益を受けることになり,(オ)の 場合,対価を支払わないで,又は著しく低い価額の対価で利益を受けた場合には,そ の者は,当該利益を現に受けているものであり,いずれも,受贈者とされる者が贈与 とみなされる行為によりもたらされる利益を現に有することになったと認められる時 に,贈与があったものとみなすと規定されていると理解できる。これらの規定と,通 則法15条2項5号を併せて読めば,贈与税は,受贈者とされる者が贈与による利益 を現に有することに担税力を認めて,これに対して課税する制度であると理解できる。
したがって,相続税法5条ないし9条と同様に,みなし贈与の規定である同法4条1項にいう「受益者」とは,当該信託行為により,その信託による利益を現に有する地位にある者と解するのが相当である。
(2) 本件信託の趣旨等
被告は,原告は相続税法4条1項にいう「受益者」に当たると主張する。そこで, 本件信託の趣旨等を検討する。
ア Fが本件信託を設定するに至った経過等
証拠(甲4,51ないし57,70,78〔枝番を含む。〕ないし80,100, 乙22の2,乙24,証人F)によれば,次の事実が認められる。
(ア) Fは,非上場企業の創業者であり,かねてから自己の相続税対策に関心を持っていた。K銀行名古屋出張所のMは,K銀行東京オフィスのLと共に,遅くとも平成13年1月ころから,Fに対して,相続税対策として,海外への投資等の案件を紹介するようになった。

(イ) そして,平成13年6月ころには,MとLは,Fに対して,Fを被保険者とする海外生命保険を利用したプランを紹介したが,Fは,心臓移植を受けたことを理由に自らが被保険者となるプランはできないと断った。同年7月,MとLは,Fに孫(C)が生まれると聞いたので,孫に対して,信託を通じた贈与を行うプランを提案した。これは,Fが,米国で信託を設定し,Aを被保険者とする生命保険をその信託が購入し,孫を受益者とするという内容のものであった。しかし,Aの渡米期間が短期間であり,労働ビザを保有していないことから,Fは,このプランは無理が伴うとして断念した。
(ウ) 平成15年7月,Fは,MやLに,Aに第2子が誕生するので,前回断念したプランを再考したい旨話し,再度(イ)の孫に対する信託を通じたプランの説明を求め た。その後,これを受けたMやLは,N弁護士(O法律事務所)に,米国カリフォル ニア州での労働ビザ取得を相談し,あるいは,K銀行内の関係部署等と連絡を取るな どして,本件信託の設定に向けた準備を行った。また,Fは,同年10月23日,K 銀行ニューヨーク本店において,M,Lをはじめとする関係者と会い,K銀行が計画 しているプランの説明を受けた。その際使用された説明のパンフレット(乙24)に は,米国非居住の外国人である設定者が,無体財産を信託財産として解約変更不可能 型の信託を設定し,設定者の子供を被保険者とする生命保険を購入し,米国籍のみを 有する米国居住の設定者の孫を受益者とする模式図が記載され,さらに死亡保険金が 支払われたときには,信託がこれを運用することや,運用資産は,パワーホルダーが 分配を受託者に指示することにより,受益者である孫に利益を分配する旨,さらには, 元本部分は無税で資産受け取り可能とも記載されている。
(エ) 平成16年4月1日及び2日,Aは,神奈川県川崎市内の病院において,本件生命保険の被保険者となるための健康診断を受けた。
同月12日,Aは,米国の病院において,本件生命保険の被保険者となるための健康診断を受けた。
(オ) 平成16年7月1日,Fは,本件信託契約書に署名をした。

(カ) 平成16年8月4日,Gは,本件信託契約書に署名した。
(キ) 平成16年8月26日,Fは,本件信託に,本件信託財産として本件米国債5 00万ドル分を寄託した。
(ク) Aは,平成16年9月10日,本件信託の投資顧問として,受託者であるGに対して,本件生命保険の契約締結を指示した。これを受けて,Gは,同月15日,そのうちの440万ドルを一時払保険料として支払い,合計6社との間で,Aを被保険者とする本件生命保険の契約を締結した。
(ケ) 平成16年9月29日,Gは,K銀行に対し,本件生命保険の各保険会社への送金を指示した。
イ 本件信託契約の内容等
本件信託契約書(甲4)によれば,本件信託の特色は次のとおりであると認められる(以下で引用する括弧内の条項は,本件信託契約書の条文番号である。)。
(ア) 受託者は,自己の裁量により,原告が生存する限りにおいて,原告の教育,生活費,健康,慰安及び安寧のために妥当と思われる金額を,元本及び収益から支払うとしている(4条1項)。
受託者は,4条1項の規定に関わらず,信託財産に関わる限定的指名権(本件信託の受益者を指名できる権限)が行使されたときは,信託財産を,本件信託契約により特に除外されている者以外の者のために保有,管理,分配するものとする(同条2項1号)。
(イ) 受託者の権限は,制限を受けず,受託者の合理的な裁量において行使することができる(6条柱書き)とされ,その例示として,資産の維持,全般的管理,賃貸借, 借入れ,保険の購入,提訴,和解等が挙げられている(同条1項ないし7項)。また, 受託者は,信託財産を,ニュージャージー州法に規定される標準的な注意義務に従う ことを条件として,あらゆる種類の投資対象に投資できる(同条8項)。同条の他の 規定をも総合すると,受託者は,信託財産の運用に関して,広範な権限が認められて いるといえる。

(ウ) 本件信託契約では,受益者の財政的な要求を満たす流動性を提供し,設定者の死亡時に本件信託により企図される利益を積み立てることが主たる目的とされ,そのための手段として生命保険証券への投資が,この目的を満たすための適切な投資戦略であるとされている(7条1項)。
これを受けて,受託者は,設定者又は保険加入の利益があるその子孫の誰かを被保険者とする生命保険証券を購入及び保有する権限を有する(7条2項)とされ,信託財産により購入した保険証券について,あらゆる権利を有するものとされている(同条3項)。
また,保険料支払に関しては,受託者は,信託財産が支払うべき保険料又はその他手数料の額に満たない場合には,保険料又はその他手数料を支払う義務はないが,自己の裁量により,信託財産の元本を売却するなどして,保険料などを支払うことができるとされている(7条5項2号)。
そして,被保険者の死亡,保険証券の早期償還等の場合には,受託者は,当該保険証券の保険金及び給付金を回収するものとされ,そのために必要な措置を講ずる権限を有するとされている(7条6項)。
(エ) 本件信託契約においては,投資顧問として,Aが指名されている(8条1項)。投資顧問は,信託の投資方針,信託資産の売買又は保有の決定につき責任を負うとさ れており(同条柱書き),受託者が本件信託契約6条に基づき権限を有する措置を講 じるよう,受託者に指示する権限を有している(同条2項2号)。
(オ) 受託者の報酬等に関しては,受託者は,報酬表に基づき報酬を受けるものとされており,収益から充当すべき報酬は,経常収益又は累積利益から支払えるものとされ(9条7項),また,受託者の報酬及び費用の全ては,信託より支払われるものとされている(同条11項)。
ウ 以上認定の本件信託契約に至る経過等や本件信託契約の内容に照らすと,本件信託は,本件信託財産を,Aを被保険者,Gを保険契約者兼保険金受取人とする本件生命保険に投資し,その死亡保険金をもって,受益者に利益を分配することを目的として設定されたものと認めるのが相当である。
確かに,本件信託契約における受託者の権限を見ると,生命保険以外にも広く信託財産を投資できる権限が認められている。しかし,本件信託契約では,受託者の権限を定める6条の他に,7条において,本件信託財産を生命保険に投資することが明示されている。さらに,8条により,本件信託は,投資顧問であるAの指示に従って, 資産運用する義務を負っている。そして,本件信託契約の締結経過,すなわち,本件信託の設定者であるFは,あくまでも生命保険で運用することを内容とする投資プランをK銀行のMらに相談し,本件生命保険の被保険者であるAは,本件信託契約締結前に,既に生命保険契約締結のための健康診断を受診し,投資顧問としてのAは,本件信託が設定された2週間後には,受託者であるGに対し,本件生命保険の契約締結を指示し,これを受けて,Gは,本件生命保険の契約を締結したことに照らせば,本件信託は,Fから委託された本件信託財産である本件米国債を生命保険契約で運用することを想定して設定されたものであり,本件信託において受益者に分配することが予定されている信託財産は,Aが死亡し又は本件保険契約が満期の時に発生する死亡保険金であると認められる。
なお,本件信託財産としてFが寄託したのは本件米国債(額面合計500万ドル) であり,そのうち440万ドルが本件生命保険の一時払保険金として使用されたが, 本件信託は,残り60万ドルについて米国債として運用している(乙26,弁論の全趣旨)。しかし,本件生命保険の満期はいずれも昭和46年○月○日生まれのAが100歳となる2072年とされており,本件保険契約は締結から約68年間継続する ことが予定されている上,本件生命保険契約締結当時32歳であるAが日本人男性の 平均余命である約80歳まで生存するとした場合,本件信託は,少なくとも約48年 間本件生命保険を管理する必要があり,本件信託は,その間の管理費用(なお,Fは, この費用を年間1万ドルと証言している。)を負担することになる(本件信託契約7 条5項2号,8条2項9号)。また,本件信託は,解約不能の永久信託であるから(本件信託契約1条),受託者に対する報酬が本件信託から永久に支払われることに

なる(本件信託契約9条7項,11項)。そして,本件生命保険の生命保険金は,満期又は保険事故が発生するまで発生しないので,本件信託としては,これらの費用に充てる資金を予め確保しておく必要がある。本件生命保険の上記管理費,信託報酬,Aの余命,本件生命保険契約の存続期間を考慮すると,米国債として運用されている
60万ドル相当額は,今後確実に発生が見込まれる本件生命保険の管理費や信託報酬に充てる予定であり,受益者に対する分配を予定していない信託財産であると理解するのが相当である。
エ また,上記イ(ア)で認定判示したとおり,受託者であるGは,信託財産の分配 に関して裁量権を有しており,Aが死亡し本件生命保険の保険金を受領したとしても, これを直ちに全額原告に支払わなければならない義務を負っておらず,適宜の方法で 支払うことが認められている上,限定的指名権者であるAにおいて,原告以外の者を 受益者と指名することができるものである。したがって,本件信託契約上,原告が本 件信託の受益者とされているとしても,その地位は浮動的なものであると認められる。
(3) 検討
これらの本件信託の趣旨等を前提として,原告が本件信託の設定時において,本件信託による利益を現に有する地位にある者と認められるか否かを検討する。
本件信託は,上記のとおり生命保険への投資を内容とする信託であり,その信託財 産500万ドルのうち,信託の費用に充てられることが見込まれる60万ドルを除い た本件信託において現実に運用することが可能な信託財産となる440万ドル全てが, 本件生命保険の一時払保険料として払い込まれている。したがって,本件信託として は,本件生命保険の保険金が受領できる時,すなわち保険事故であるAの死亡した時 又は保険期間が満了した時まで保険金を取得することはできず,本件信託設定時にお いては,受益者に対して分配することが可能となる資産を有していないことになる。 そうすると,本件信託の受益者は,本件信託設定により直ちに本件信託から利益を得 ることはできず,Aが死亡し,あるいは本件生命保険の満期が到来して初めて本件信 託から利益を得ることが可能となることになる。

また,原告は,本件信託契約において第一次的には受益者とされているが,本件信託が受領した本件保険契約に基づく保険金を直ちに全額受領できるわけではなく,本件信託の裁量により分配を受け得るのみであり,しかも,限定的指名権者の指名により,原告以外の者が本件信託の利益の分配を受けることも可能である。
以上の事情を総合すれば,原告は,本件信託の設定時において,本件信託による利益を現に有する地位にあるとは認められないといわざるを得ない。
この点,被告は,本件信託契約が締結され,Fが本件米国債を信託財産として本件信託に寄託した後に,受託者であるGはその裁量により本件生命保険契約を締結したのであるから,受益者である原告は,本件信託設定時に本件信託による利益を取得できていた旨主張する。しかし,本件信託の設定と本件生命保険契約の締結時期に若干の間隔があるとしても,前示のとおり,本件生命保険の契約締結は,本件信託契約締結前から予定されていたものである。被告の主張は,このような本件信託契約の実態を踏まえない形式論であって,採用することができない。
3 まとめ
以上によれば,原告は,本件信託の設定に関し,相続税法4条1項の「受益者」に当たるとは認められないから,原告に対して,贈与税を課すことはできない。したがって,原告が同項の「受益者」に当たることを前提としてされた本件課税処分は,その余の点を判断するまでもなく違法である。
第4 結論
よって,本件課税処分の取消しを求める原告の請求は理由があるので,これを認容することとし,主文のとおり判決する。


名古屋地方裁判所民事第9部


裁判長裁判官 増 田 稔

裁判官 鳥 居 俊 一

裁判官 杉 浦 一 輝

別紙1 (関係法令等の定め)


1 相続税法(平成19年法律第6号による改正前のもの)
第1条の4 次の各号のいずれかに掲げる者は,この法律により,贈与税を納める義務がある。
1号 贈与により財産を取得した個人で当該財産を取得した時においてこの法律の施行地に住所を有するもの
2号 贈与により財産を取得した日本国籍を有する個人で当該財産を取得した時においてこの法律の施行地に住所を有しないもの(当該個人又は当該贈与をした者が当該贈与前五年以内のいずれかの時においてこの法律の施行地に住所を有していたことがある場合に限る。)
3号 贈与によりこの法律の施行地にある財産を取得した個人で当該財産を取得した時においてこの法律の施行地に住所を有しないもの(前号に掲げる者を除く。)


第2条の2 第1条の4第1号又は第2号の規定に該当する者については,その者が贈与により取得した財産の全部に対し,贈与税を課する。
第2項 第1条の4第3号の規定に該当する者については,その者が贈与により取得した財産でこの法律の施行地にあるものに対し,贈与税を課する。


第4条 信託行為があつた場合において,委託者以外の者が信託(退職年金の支給を目的とする信託その他の信託で政令で定めるものを除く。以下同じ。)の利益の全部又は一部についての受益者であるときは,当該信託行為があつた時において,当該受益者が,その信託の利益を受ける権利(受益者が信託の利益の一部を受ける場合には,当該信託の利益を受ける権利のうちその受ける利益に相

当する部分。以下この条において同じ。)を当該委託者から贈与(当該信託行為が遺言によりなされた場合には,遺贈)により取得したものとみなす。
第2項 次の各号に掲げる信託について,当該各号に掲げる事由が生じたため委託者以外の者が信託の利益の全部又は一部についての受益者となった場合においては,その事由が生じた時において,当該受益者となった者が,その信託の利益を受ける権利を当該委託者から贈与(第1号の受益者の変更が遺言によりなされた場合又は第4号の条件が委託者の死亡である場合には,遺贈)により取得したものとみなす。
1号 委託者が受益者である信託について,受益者が変更されたこと。
2号 信託行為により受益者として指定された者が受益の意思表示をしていないため受益者が確定していない信託について,受益者が確定したこと。
3号 受益者が特定していない,又は存在していない信託について,受益者が特定し,又は存在するに至つたこと。
4号 停止条件付で信託の利益を受ける権利を与えることとしている信託について,その条件が成就したこと。
第3項 前項第2号から第4号までに掲げる信託について,当該各号に掲げる事由が生ずる前に信託が終了した場合において,当該信託財産の帰属権利者が当該信託の委託者以外の者であるときは,当該信託が終了した時において,当該信託財産の帰属権利者が,当該財産を当該信託の委託者から贈与により取得したものとみなす。
第5条 生命保険契約の保険事故(傷害,疾病その他これらに類する保険事故で死亡を伴わないものを除く。)又は損害保険契約の保険事故(偶然な事故に基因する保険事故で死亡を伴うものに限る。)が発生した場合において,これらの契約に係る保険料の全部又は一部が保険金受取人以外の者によって負担されたものであるときは,これらの保険事故が発生した時において,保険金受取人が, その取得した保険金(当該損害保険契約の保険金については,政令で定めるも

のに限る。)のうち当該保険金受取人以外の者が負担した保険料の金額のこれらの契約に係る保険料でこれらの保険事故が発生した時までに払い込まれたものの全額に対する割合に相当する部分を当該保険料を負担した者から贈与により取得したものとみなす。
第2項 前項の規定は,生命保険契約又は損害保険契約(傷害を保険事故とする損害保険契約で政令で定めるものに限る。)について返還金その他これに準ずるものの取得があつた場合について準用する。
第3項 前2項の規定の適用については,第1項(前項において準用する場合を含 む。)に規定する保険料を負担した者の被相続人が負担した保険料は,その者 が負担した保険料とみなす。ただし,第3条第1項第3号の規定により前2項 に規定する保険金受取人又は返還金その他これに準ずるものの取得者が当該被 相続人から同号に掲げる財産を相続又は遺贈により取得したものとみなされた 場合においては,当該被相続人が負担した保険料については,この限りでない。
第4項 第1項の規定は,第3条第1項第1号又は第2号の規定により第1項に規定する保険金受取人が同条第1項第1号に掲げる保険金又は同項第2号に掲げる給与を相続又は遺贈により取得したものとみなされる場合においては,当該保険金又は給与に相当する部分については,適用しない。
第10条 次の各号に掲げる財産の所在については,当該各号に規定する場所による。
(1ないし8号は,省略)9号 合同運用信託(信託会社又は信託業務を営む金融機関が引き受けた金銭信託で共同しない多数の委託者の信託財産を合同して運用するもの(投資信託及び投資法人に関する法律(昭和26年法律第198号)第2条第2項(定義)に規定する委託者非指図型投資信託及び同条第28項に規定する外国投資信託で委託者非指図型投資信託に類するものを除く。)をいう。), 投資信託(同条第3項に規定する投資信託をいう。以下同じ。)又は特定目的信託(資産の流動化に関する法律(平成10年法律第105号)第2条第

13項(定義)に規定する特定目的信託をいう。)に関する権利については, これらの信託の引受けをした営業所又は事業所の所在
(10ないし13号は,省略)
第2項 国債又は地方債は,この法律の施行地にあるものとし,外国又は外国の地方公共団体その他これに準ずるものの発行する公債は,当該外国にあるものとする。
第3項 第1項各号に掲げる財産及び前項に規定する財産以外の財産の所在については,当該財産の権利者であつた被相続人又は贈与をした者の住所の所在による。
第4項 前3項の規定による財産の所在の判定は,当該財産を相続,遺贈又は贈与により取得した時の現況による。


2 信託法(平成18年法律第108号による改正前のもの)
第1条 本法ニ於テ信託ト称スルハ財産権ノ移転其ノ他ノ処分ヲ為シ他人ヲシテ一定ノ目的ニ従ヒ財産ノ管理又ハ処分ヲ為サシムルヲ謂フ


3 相続税法基本通達(昭和34年1月28日付け直資10。平成19年5月25日課資2-5,課審6-3による改正前のもの。)
4-2 いわゆる生命保険信託については,その信託に関する権利は信託財産として取り扱わないで,生命保険契約に関する規定(法第3条又は第5条)を適用することにより取り扱うものとする。

様々な影響を及ぼしつつある所有者不明の土地

土地の所有者がわからないために土地の売買や利活用が進められないなど、「所有者不明の土地」が引き起こす問題が全国で増えている。
“所有者がわからない”という表現には、所有者は判明しているものの居所や生存が確認できず、ただちに連絡がとれない場合も含まれる。
顕著に表面化したのは、東日本大震災の復興事業だ。被災者の集団移転に伴う高台の用地を取得する際に、移転先に所有者不明の土地が含まれていたことで、計画の変更や遅延を余儀なくされるケースが現れたのだ。

土地の所有者がわからないことで起こる問題は被災地だけではない。北海道では、石炭産業施設など日本の近代化に貢献した「明治北海道の産業革命遺産」の保全をする上で、全27ある遺産のうち4つが所有者不明のために維持修繕できない状態だという。また、ある地域では、土砂崩れが起こる可能性の高い土地の補強や堤防を設置しようとする際に、その土地の相続登記がされていないために工事が進められないケースが出てくるなど、人命にも関わる様々な場面で影響が出ている。
国土交通省が平成27年3月に公表した報告書によると、全国4市町村から100地点をサンプリングして登記簿を調査した結果、最後に所有者に関する登記がされた年が「50年以上前」のものが全国の19.8%を占めていた。同省によると、「所有者の所在の把握が難しい土地は、私有地の約2割(※筆単位)が該当すると考えられ、相続登記等が行われないと今後も増加する見込み」としている。(※筆:登記簿上の土地の個数を表す単位のこと)

これらの問題が、震災復興や空き家対策など緊急性の高い課題解決の妨げになっていることを受け、国土交通省は、現行の法制度の範囲内でできる対策を示した「所有者の所在の把握が難しい土地に関する探索・利活用のためのガイドライン」を策定。政府と司法書士会、関係団体が協力した検討会を立ち上げた。
2017年3月8日に開催された「地域に広がる所有者不明土地問題を考える」シンポジウムから、所有者不明の土地問題の現状や解決に向けた様々な取組みなど、新たな土地制度のあり方について考えてみたい。

国土交通省のサンプル調査によると、50年以上所有権の登記がされていない土地は、全国の20%近くに上っている</BR> 参照:国土交通省「最後に所有権に関する登記がされた原因年別の登記簿の割合」を元に編集部で作成
国土交通省のサンプル調査によると、50年以上所有権の登記がされていない土地は、全国の20%近くに上っている
参照:国土交通省「最後に所有権に関する登記がされた原因年別の登記簿の割合」を元に編集部で作成
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所有者がわからなくなる背景とは?


そもそも土地の所有者情報は、不動産登記制度によって管理されているにも関わらず、なぜ所有者不明の土地ができてしまうのか?その主な要因の一つが「相続未登記」だ。
土地の所有者が死亡した場合、一般的には新たに所有者となった相続人が相続登記を行ない登記簿の名義を変更する。しかし、この相続登記は義務ではなく相続人本人の判断に委ねられているのだ。倒壊の危険や防犯上のリスクなど、公益上の損害が表面化しやすい空き家問題とは異なり、その土地を利用しようとする段階で初めて不都合が表面化するため、死亡者の名義のまま登記簿の情報が長期間放置されることも多い。その間にも法定相続人は、子、孫と広がっていくごとにねずみ算式に増加し、登記簿情報との乖離が進んでいくことになる。こうした背景から、そもそも自分が相続人だと自覚していないケースも少なくないという。

相続登記が進まない理由の一つには、土地の資産価値の変化がある。
国土交通省が2017年3月21日に発表した公示地価では、東京圏、大阪圏、名古屋圏の3大都市圏において、住宅地平均が前年比+0.5%、商業地平均が+3.3%と4年連続で上昇しているものの、駅から離れた郊外に地価が落ち込む地点が存在するなど、二極化が進んでいることが示された。今後も続く人口減少によって、その差は更に大きくなっていくと考えられる。土地を所有することは、固定資産税などの継続的なコストが発生するということだ。過疎地などの市場価値の低い土地を相続した場合、土地の所有が「資産」ではなく、負担になってしまう状況も考えられるのだ。

空き家特別対策法の施行からわかるように、空き家は景観や防犯、倒壊などの観点から問題視されやすいが、<BR />空き地の場合は相続登記を行わなくても直ちに問題になることが空き家と比べて少ない
空き家特別対策法の施行からわかるように、空き家は景観や防犯、倒壊などの観点から問題視されやすいが、
空き地の場合は相続登記を行わなくても直ちに問題になることが空き家と比べて少ない
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被災地である岩手県大槌町では、地権者が800人超の事例も


現在、大槌町司法書士相談センターで復興事業に携わっている岩手県司法書士会所属 司法書士 石川陽一氏
現在、大槌町司法書士相談センターで復興事業に携わっている岩手県司法書士会所属 司法書士 石川陽一氏

パネルディスカッションでは、法務省や国土交通省をはじめとする各省庁に加えて、地方自治体職員など関係部局の担当者が登壇した。
そのうち、東日本大震災の被災地の一つでもある岩手県大槌町で、相続登記手続きの支援をしている司法書士 石川陽一氏から、被災地における所有者不明の土地問題の現状が語られた。

「津波によって町の約7割の建物が被災した大槌町では、復興事業の一環として公共用地の買取りが進められています。買取り状況は90%近くに達しているものの、残りのうち数%は所有者不明の土地で手の施しようがない状態です。明治から昭和初期にかけて登記したまま登記簿を変更していない土地もあり、相続人が20~30人、行方不明者も複数という案件も少なくありません。中でも、一筆の土地が46人の共有名義になっていたことがありました。調査の結果、大正時代から登記変更されていなく、書類をたどると800人もの地権者が存在していたんです。」

こうした土地所有者の調査は、自治体の担当職員にとって気の遠くなるような作業である。まずは、所有者の親族を中心に相続人を洗い出し、文書などを通じて連絡。さらに相続人が複数いる場合には、合意形成も必要になる。当然、複数の相続人が同じ行政区内に住んでいるとは限らず、例え海外にいる場合も例外なく同様の手続きをとらなくてはならないのだ。

今後の進め方について石川氏は、
「自治体の職員はこうした作業が毎日続きます。どうすれば相続人と接触できるのか、どうしたら印鑑がもらえるのか…。あまりに複雑であるため、一人で抱え込まずチームで解決する体制づくりが大切なのだと思います」と語る。
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解決が進みにくい背景には、当事者、関係者の認識不足も?


新潟県長岡市の「市役所なんでも窓口」。葬儀後の手続き一覧の用意やワンフロアに手続きが必要な課を多く設置することで、森林法に基づく届出件数が、一覧表掲載前の平均件数の1.37倍に増加したという
新潟県長岡市の「市役所なんでも窓口」。葬儀後の手続き一覧の用意やワンフロアに手続きが必要な課を多く設置することで、森林法に基づく届出件数が、一覧表掲載前の平均件数の1.37倍に増加したという

相続人の調査、接触するために係る”時間とコスト”も見逃せない問題だ。
三菱UFJリサーチ&コンサルティング 主任研究員 阿部 剛志氏は、過去の20案件のリサーチから、土地の所有者がわからない場合の調査コストを算出したという。
「登記簿で所有者が判明せず、戸籍などを遡って調査する場合、見えないコストとして1人調査あたり約1万4,000円から2万6,000円がかかっていることがわかりました。この内訳の約9割は人件費で占められており、こうしたコストを、行政や森林組合が負担していることを共通認識としてもっていただきたい。」と語る。
所有者不明の土地が増えることは、固定資産税の徴収額の減収にも直結する。ある自治体では、相続人が特定できずに死亡している人に対して、形式上課税をする”死亡者課税”も起こっているという。
すでに死亡している所有者の調査には、さらに根深い問題がある。過去に遡って所有者を調査する際、故人を辿っていく場合に必要な”住民票の除票の写し”や”戸籍の附票の除票”等の保存期間が、法令上、消除した日から「5年間」となっている。そのため、当該期間を経過している場合、これらの除票の写しの交付ができず、先代に遡ることができない事態が発生するのだ。

こうした状況に対して阿部氏は、問題の解決が進みにくい理由には、自治体をはじめとする関係者の”問題の認識不足”もあると語る。
「空家問題の所有者の調査の際に何が一番困ったか?というアンケートの回答として、『所有者の特定が困難』という回答が最も多いのは予想がつきましたが、次いで多かったのが『関係者の問題に対する認識不足』という回答でした。つまり、問題を解決しようとも、関係者同士であっても話がなかなか伝わらず、協力が得られにくい…というのが担当者の苦労として明確に現れた結果でした。担当者にとっては深刻な問題にも関わらず、周りの人はよくわからないので対応しないという状況が見えてきます。連携するための一体感をどのように構築するかということが、問題解決に向けての大きな論点の一つになると思います。」
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問題解決に必要な法整備の見直しと国民の意識


相続人にとってすぐに不都合が表面化しにくく、気づいたときには対応が困難になっているケースが多い特徴をもつ「所有者不明の土地問題」。今回策定されたガイドラインには、こうした土地を今以上に増加させないための取組みとして、主に以下のポイントをあげている。

 □相続登記と所有者届出の促進
 □情報の共有

相続登記を促す対策としては、死亡届提出の手続きと併せて、土地の相続に係る手続きを案内する方法が取られはじめている。死亡に伴う保険や年金などの関連手続で担当窓口を訪れたタイミングで、土地の相続に係る手続きの一覧などを案内することで、漏れなく実施につなげたいとしている。
具体的な事例として、新潟県長岡市では、平成24年4月の新庁舎開設時に「市役所なんでも窓口」を新設。死亡届出後に行う年金受給停止の手続きや介護保険の喪失届けといった諸手続きを行うほか、ワンフロアに一連の手続きに必要な課を集めることで、住民の手続きの負担の軽減や手続き漏れの減少につなげているという。
また、調査の負担軽減につながるものとして、関係各所の所有者情報の共有も挙げられている。
前述した住民票の除票等の保存期間を超える保存と、その写し等の交付をすることで所有者情報の探索の負担軽減が期待されている。
即効性のある解決は難しいとはいえ、今後いかに新たな「所有者不明の土地」を生み出さないか、という未然の防止策には、行政や関係部署の所有者情報の共有など、これまでの縦の分担ではなく、組織横断的な協力が必要不可欠であるといえる。

検討会の委員長を務める早稲田大学大学院法務研究科教授 山野目章夫氏は、
「不動産登記制度は、所有者不明の土地問題の原因の一つと批判があるが、アジア諸国においてここまで精緻な不動産登記制度をもった国はない。諸先輩方が明治初年に作り上げ、今日まで保たれている制度は、人々の信頼が受け継がれてきたという国の宝でもあると思います。これを我々の代で損なうことなく、次の世代まで引き継がねばならないのです。」と語る。

不利益が見えにくく、身近に感じる機会が少ない所有者不明の土地問題も、国民一人ひとりの意識と密接に係る問題である。土地の所有者を全て明らかすることが難しい状況の中、今以上に放置される土地を生み出さないためには、これまでの制度を踏襲しつつも、人口が減少していく時代に即した土地制度の見直しが必要なのではないだろうか。

補足 チェック方式の民事信託契約書

 

司法書士法制については、『市民と法』112号に掲載させていただきました。

1、「前条の場合を除き、○○とする。」や「前項の場合は、○○とする。」などの援用を避けて各条項を可能な限り独立させました。
1条項ごとが雛型だと考えています。
その効果として法改正、依頼者の希望、金融機関等の第三者との関係などに応じて条項の差し替えが比較的簡単になります。
アメリカではタッチパネルで簡単な信託契約書を作成可能(税務上の配慮が複雑にならない人向け) 。

2、契約条項を標準化する意味
 「民事信託・家族信託の書類に雛型はない。」とおっしゃる先生方も、他の方法を利用して業務効率を上げる努力をしています。

(例)
(一社)家族信託普及協会では、信託設計フォーム。内容は、民事信託契約書を作成する際に通常聞くこと。漏れがないようにする効果はある。信託の目的、信託財産などの項目を埋めていく。

(一社)民事信託推進センター編集協力『民事信託実務ハンドブック』P34~P88では、ヒアリングシート、比較表、説明ツールを用いて信託契約書を作成することが奨励されている。

(一社)民事信託監督人協会では、この法人に信託監督人の就任を依頼する場合の民事信託・家族信託については、この法人が作成した信託契約書の雛型を利用することを条件として考えている。理由は各専門職が作成する信託契約書の内容がばらばらでは、監督業務に支障が出るから。

司法書士法人ソレイユの実家信託パックというサービスでは、実家信託パック対象者診断チェックシートを用いている。内容は実家を信託する(出来る)人を絞り込む目的で作られている(住宅ローン返済の有無等)。
司法書士法人ソレイユ監修により(株)リーガルから発売された「家族のための信託支援システム」は、認知症対策、受益者連続型、実家売却、共有状態解消を目的とする信託について、提案書から見積書、契約書、登記申請までをサポートする((株)リーガルHP2018年8月16日閲覧)。
今後は、○○型を一つずつ増やしたり、固まった論点を新たに追加して割引販売をしていくものと予想します。

信託条項を標準化するのは、1、で挙げたアメリカにおけるタッチパネル方式に近い考え方に依ります。上に挙げた他の方法でも、1、依頼者が書き込む、2、専門家が条文を解釈して条項を作成、書籍の条項を少し手直し、または以前に作成した契約書の条項を使い回して、整合性を整える。3、依頼者と共に確認する、という順を辿ります。1から3までの過程のうち、2を省くのが信託条項を標準化する意味です。
 すると専門家間での認識のずれが少なくなり調整に要する時間が減ります。
 依頼者へ割く時間、研究の時間を増やすことが出来ます。
 普及しないかもしれませんが、地道に続けて他に良い方法があるか模索します。


3、エスノグラフィー、半構造化インタビュー

エスノグラフィーの定義は、野村康『社会科学の考え方』2017名古屋出版会に従っています。P183以下を引用します。―「ある人々の行為や考え方を理解する目的で、人々の中に、あるいは人々の近くに身を置いて調査し、論文や研究成果報告書等を作成する手法」―とあります。
 論文や研究成果報告書を信託契約書に置き換えても違和感は少ないと考え、この手法を利用することが有効だと考えました。
また人の行為や考え方を理解することが目的です。理解したことを何らかの成果物(契約書という書面)にする、という形を採ることで、司法書士業務にも馴染むのではないかと思っています。
フィールドワークはより包括的な意味で利用されていて(例えば野外観察調査)、エスノグラフィーもフィールドワークの中に含まれます。

半構造的インタビューの定義も、野村康『社会科学の考え方』2017名古屋出版会に従っています。P145以下を引用します。―半構造化インタビュー(semi-structured interview)では、どのインタビューでも取り上げる共通の質問項目を一定数設けるとともに、インタビュアーが問いを自由に投げかけることができる。質的データを収集することを目的とする―。

特徴として質問に対する回答が不明確であったり、興味深い場合には詳しく説明してもらったり、別の聞き方をして情報を再確認することができます。
また同じ概念でも相談者と契約書作成者で異なる理解をしている場合、重要だと想定する事柄が違う場合にも、あらかじめ条項という完成形にしておくことで両者のズレを理解し、考察が的外れになることを予防するのに有効だと考えています。


4、契約書のタイトルについて

タイトルは、「信託契約書」としています。私が現在作成している信託契約書のタイトルは全て信託契約書です。
不動産管理処分信託契約書、株式信託契約書などのタイトルも書籍などで見かけますが、不動産を売却した場合、金銭信託として信託が続くのではないか、収益不動産だと賃料や借地権の債権、受け取った後は金銭となるのではないか、契約書の信託の目的と信託財産、受託者の信託事務から、信託契約書の性質は自然と決まってくるのではないか、などの理由から単に信託契約書、としています。


5、P116の国語・金融教育の一環と位置付けることについて

 チェック方式の遺言代用信託契約書を利用して、依頼者と読み合わせをしていく中で、法律用語の説明に加え、日本語の読み方について話すことが多くなります。例えば、第3条2項の但し書きの説明、同条同項5号の2回続けて報告を怠ったとき、の2回続けての意味の説明などです。

 このような文章は契約書に限らず、ニュースや新聞などの日常生活に出てきます。また普段の仕事上でも行政文書や社内文書と接する機会があるかもしれません。
 よって、契約書を依頼者と共に読み解いていくことは国語教育の一環と位置付けることが出来ると考えています。

 金融教育としての側面は、ある財産を信託財産として管理するのが信託である以上、不動産に関する資金計画や税について他の専門家の力を借り、契約書に反映すると共に、信託期中、終了時においてもアドバイスを行う必要が出てくる面があります。こうした長期間の接触を踏まえて金融教育としての位置付けが可能と考えています。

受益証券

受益証券

1、 民事信託・家族信託における動向
 一般書などに現れ、いつの間にか消えた条項があります。「本信託については、受益権証書は発行しない 」という受益証券発行信託(信託法207条~。)ではないことを示す条項です。理由としては、この条項をもって、信託契約は信託業法の適用がない民事信託・家族信託であることを証明することが出来る、というような説明が2015年~2017年頃まで行われていました。
 引いた参考文献は弁護士の著作ですが、個人的には司法書士に多かったような感覚を持っています。
 当初、この説明を聞いたとき、信託法では、受益証券が発行されない信託が原則で、例外として受益証券を発行する場合は、信託行為に定める(信託法207条)。だから、受益証券については、原則として何も記載しないのが民事信託の契約書ではないかな、と一回も契約書を作成していないのに思っていました。
 私の実務では受益証券に関する条項はありませんが、なぜこのような条項が出てくるのか、ということについては私なりの仮説があります。

2、司法書士に特有の認識
平成18年に会社法が改正されました。司法書士が主に業務で扱う株式会社は、株式の譲渡制限があり、株券を発行しない会社です。
定款に、全ての株式に譲渡制限の定めがある会社は、公開会社ではない株式会社となりました(会社法2条1項5号)。
改正前は、株式会社が株券を発行しない場合は、定款にその旨を記載する必要がありました(改正前商法第206条の2)。
改正後は、考えが逆になり、株券を発行する場合は定款に記載する必要があることになりました(会社法214条)。

株式の譲渡制限の定めを定款に記載=公開会社ではない株式会社(通常の司法書士業務)
株券を発行する場合は定款に記載=株券発行会社(通常の司法書士業務では、数は多くない)

この2つの考えがごっちゃになって、
「本信託については、受益権証書を発行しない。」=民事信託・家族信託
という記載がみられるようになったのではないか、というのが私の仮説です。
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遠藤英嗣『新しい家族信託』2016日本加除出版P455など。

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