市民と法[1]の記事、渋谷陽一郎「東京地裁令和3年9月17日判決にみる民事信託支援業務の内包と5号相談の実質(上)」からです。
司法書士法
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=325AC1000000197
(業務)
第三条 司法書士は、この法律の定めるところにより、他人の依頼を受けて、次に掲げる事務を行うことを業とする。
一 登記又は供託に関する手続について代理すること。
二 法務局又は地方法務局に提出し、又は提供する書類又は電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。第四号において同じ。)を作成すること。ただし、同号に掲げる事務を除く。
三 法務局又は地方法務局の長に対する登記又は供託に関する審査請求の手続について代理すること。
四 裁判所若しくは検察庁に提出する書類又は筆界特定の手続(不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)第六章第二節の規定による筆界特定の手続又は筆界特定の申請の却下に関する審査請求の手続をいう。第八号において同じ。)において法務局若しくは地方法務局に提出し若しくは提供する書類若しくは電磁的記録を作成すること。
五 前各号の事務について相談に応ずること。
信託契約の公正証書は、高齢の委託者を代理した司法書士を代理人として作成された(司法書士が信託契約の代理人となっているが、なぜ、そうしたのだろうか不明である)。
委託者や受託者が、公証人役場や公証センターに行きたくない、行けないという希望があることはあります。場合によっては、公正証書にするのも面倒くさい、という方もいます。それでも公正人役場、公証センターで当事者が嘱託人になることを納得してもらうためには、現在私は、信託専用口座を作成するためであることを説明します。個人的な理由としては、司法書士として責任を負わないためです。
そこで、依頼者らは、再度、弁護士に信託の組成支援を依頼して、信託無効を確認し、あらためて家族信託を設定する、という二度手間となった事案である。
ここで、信託契約の公正証書化する際に嘱託人が代理であることが主な原因であれば、同じ内容で当事者嘱託で信託契約を作成した方が時間も費用もかからなかったのかなと思います。当事者の信頼関係が崩れていた、J信用金庫に関しては、指定する弁護士や司法書士以外が作成した信託契約書以外受付けていないことを考えると、難しかったのかもしれません。
加えて、個別具体的に、当該事案の司法書士は、民間資格の表示などで「信託の専門家」としての外形を示していたことが、専門家責任の広がりにつながっているように思われる。
私も現在、ホームページや名刺などで民事信託を専門としていることを表示しています。民間資格は表示していません。現在のところ、民間資格や民間の同業者法人の有料会員に属していて、事前相談等を行っても責任を積極的に責任を取るという法人はないと思います。論文や調査実績は掲載しています。その範囲で仕事をこなし責任を負い、疑問に思うことは表明し、出来ないことをしないようにしたいと思います。
信託の難解さに対して、家族信託組成支援のビジネス化の普及が進んでいる、という二律背反な状況の結果でもある。また、司法書士の立場にとっては、信託をめぐる相談事務および契約事務という「法律整序事務」という「難しさ」や「怖さ」が顕在化した事例ということもできよう。
判決で被告となっている司法書士は、民間資格を有しています。おそらく有料で取得しています。そこで難しさや怖さを提示することで、同業者間のビジネス化は更に進むと思います。
要するに、司法書士と依頼者の委任契約締結の前段階における義務であり、委任契約締結の準備段階における義務である。司法書士に対する依頼を検討する者が、現に依頼するか否かを判断する段階における義務であり、さらにいえば、相談段階における義務である。事前相談だからといって、決して等閑にすることはできない、ということである。
委任契約締結前に、個別具体的な情報収集・調査などの業務は難しい部分があると思います。「個別に照会してみないと分かりません。」と言うことが必要だと感じます。現在自分が持っている情報に基づいて、それを提供し、リスクを説明することは可能です。
また、相談段階で責任を問われるのであれば無料相談を受けるのは難しいと思います。有償無償に関わらず、額の違いはあるかもしれませんが、責任を問われることは変わらないと思います。
本判決では、情報提供義務の前提としての情報集義務の存在が判示され、司法書士に対する法律家としての高度な義務が認定されている。
私は違う感想を持ちました。金融機関などの外部機関に、事前に照会して回答をもらう、もらえなければそれを依頼者に説明する、ということなので、高度な義務というより適正な事務手続を踏んでいくという印象です。
[1] 133号、2022年2月、民事法研究会P3~